古い弦楽器を修復するうえで、私が何よりも優先するのは、オリジナルの素材と造作を残すことです。木材やニス、そして製作者の仕事に固有の特徴は、いったん失われれば、真正なものとして取り戻すことはできません。だからこそ、どのような処置についても、なぜ必要なのか、もっと変更を少なくして同じ目的を果たせないかを確かめたいと考えています。
適切に接着された割れであれば、その痕跡を残すことでオリジナルのニスをより多く保てるなら、私にはそれで構いません。同時に、楽器は安心して演奏でき、その音楽的な可能性をできるかぎり発揮できるものであってほしい。この二つを両立させるには、きわめて高度な技術と確かな判断力が必要です。
失われたオリジナルは取り戻せない
歴史的なヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに私が惹かれるのは、その来歴や歴史を物語る特徴です。アーチや縁の造形、木材の加工、残された表面の状態などがそれにあたります。わずかな不揃いにも、製作者らしさが表れていることがあります。
私がまったく好まないのは、見かけ上の完璧さを求めて、そうした個性を消してしまう修復です。古いニスは、どこも一様に輝いている必要はありません。時を重ねた表面には、その奥行きも、擦れも、経年による質感も残されてよいのです。私にとって、歴史的な楽器は、修復後に新品のように見える必要はありません。
割れの痕跡を残すほうがよい場合もある
もちろん、見事な割れの修理や、周囲に精緻に調和させたリタッチは高く評価しています。ただし大切なのは、修理を目立たなくするために、何を犠牲にするかです。あとわずかに見えにくくするために、健全なオリジナルのニスを削り取ったり、広い範囲に手を加えたりしなければならないなら、私にとってはそこで一線を越えます。
その場合は、控えめな割れの線が残るほうを選びます。これは、適切に接着され、必要な補強も施された割れのことです。開いたままの割れや、不安定な損傷を指しているわけではありません。修理の技術的な質は、肉眼で見分けられるかどうかだけでは判断できません。
よいリタッチは必要な範囲にとどめ、色、透明感、表面の質感を周囲に合わせるべきです。広い範囲へのニスの上塗り、強い研磨、古い表面を人為的に均一にする処置によってオリジナルの特徴が失われるなら、私はそれに反対します。修復によって初めて生まれた傷ひとつない面より、良好な状態で残るオリジナルのニスの一片のほうが、私には価値があります。
埋め込みパッチには明確な理由が必要
埋め込みパッチの使用は、とりわけ慎重に検討してほしいと考えています。埋め込みパッチとは、元の木材の一部を削り取り、その箇所に正確に合わせた木片をはめ込む補修です。したがって、内側から小さな木片を接着する割れ止め、いわゆるクリートとは異なります。こうした処置は、損傷の種類と程度に応じて判断する必要があります。
大きな力がかかる箇所や強度の落ちた箇所では、たとえば魂柱付近の特定の損傷など、埋め込みパッチが避けられないこともあります。その場合は、責任ある修復に必要な処置です。ただし私が望むのは、本当に必要であり、元の状態への変更がより少ない方法と比べても妥当だと判断できる箇所に限って用いることです。
パッチの広さと深さにも、根拠が必要です。私が基準とするのは、専門的に見て十分な効果を得られる最小限の処置です。小さすぎれば役割を果たせず、必要以上に大きければ、歴史ある木材を余分に失うことになります。正確な合わせと、実際の状態に即した設計が決め手です。将来への備えという理由で大きく材を入れ替えることは、私の考える修復ではありません。
楽器の重要性に応じた慎重さを
すべての楽器に同じ判断が当てはまるわけではありません。初期の希少な作品、地域の製作流派をよく伝える楽器、並外れてオリジナルの状態を保つ楽器では、一つひとつの変更がとりわけ大きな意味を持ちます。歴史的重要性が高く、現存する状態が希少であるほど、処置の是非を慎重に検討しなければなりません。
歴史的重要性は、販売価格だけでは測れません。あまり知られていない製作者も、その時代の貴重な証しを残していることがあります。市場価値が控えめだからといって、古い素材を粗雑に扱ってよい理由にはならないと私は考えています。
過去に加えられた変更も、丁寧に検討する必要があります。古いネックやバスバー、歴史的な修理を、今日では別の仕様が一般的だからというだけで取り除くべきではありません。まず、何が残っているのか、それにどのような意味があるのか、実際に問題を引き起こしているのかを明らかにする必要があります。きわめて重要な歴史的状態が残されている場合は、現代のあらゆる演奏習慣に合わせることより、保存を優先すべきこともあります。
修復は、それ自体が一つの芸術
優れた弦楽器製作者が、そのまま歴史的楽器の優れた修復家であるとは限りません。同様に、製作技術の訓練を受けたことだけで、来歴や真贋を幅広く見極める眼が備わるわけでもありません。一人がこれらの能力を併せ持つことはありますが、いずれも、それぞれの分野に深く取り組み、経験を積むことで身につくものです。
新作では、製作者は自分の構想に沿って楽器を形にします。修復では、別の製作者の仕事を理解し、それに即して判断しなければなりません。補った木材、つなぎ目、リタッチは、様式上の細部に至るまで、既存の楽器に調和している必要があります。
それには、非常に高い技術水準、鍛えられた観察力、類似の損傷を扱ってきた経験が求められます。自らの限界を理解し、代替案をわかりやすく説明し、難しい問題には専門性を持つ同業者の助言を求める。私はそうした専門家をとりわけ信頼しています。判断の理由が理解でき、仕事に説得力があることから、私の信頼は生まれます。
不要な処置を見抜くことも、修復の質の一部です。現状を保つ、経過を観察する、あるいは慎重な補強だけにとどめる。そのような判断にこそ、豊かな経験が表れる場合もあります。
音も修復の目標に含まれる
歴史的な弦楽器は、その状態と重要性が許すかぎり、弾き継がれるべきだと考えています。ですから私にとって納得できる修復とは、反応、音色、演奏のしやすさまで丁寧に考慮されたものです。音楽的な長所を保ち、今ある制約をできるかぎり改善することを求めています。
楽器本体に大きく手を加える前に、まず調整を点検する必要があります。魂柱や駒、弦、テールピースは、反応や音のバランスを大きく左右することがあります。したがって、大規模な処置を早急に決める前に、目的を定めた音の調整を行うべきです。さらに踏み込んだ修復も、音に大きな影響を与える可能性があります。
損傷や適切でない調整が楽器の力を妨げていたなら、修復後には、より自由な反応、演奏に活かせる豊かな共鳴、繊細に変化する音色、整ったバランスを期待します。うまくいけば、大きな成果が得られることもあります。ただし、どの楽器でも明確な改善を約束できるわけではありません。すでに非常によく鳴る楽器なら、その長所を保つこと自体が大切な成果です。
私が反対するのは、曖昧な音の改善の約束を根拠に、元に戻せない処置を行うことです。音量が増すかもしれないという期待だけで、表板や裏板の本来の厚みを試しに変えるべきではありません。楽器固有の個性は尊重されるべきです。私にとっては、音の遠達性と同じく、弓のもとで生まれる表現の幅や、無理なく弾けることも大切です。
よい修復は、後からたどることができる
責任ある修復には、適切な記録も欠かせないと考えています。写真と、状態を明確に伝える所見によって、何が残っていたか、どのような損傷があり、どの処置を行ったかを記録すべきです。とりわけ大きな処置では、オリジナルの素材をどこに残し、どこを補い、どこを取り除いたのか、後から確認できなければなりません。
将来の処置の可能性をできるだけ残しておくことも、同じくらい重要です。すべてを完全に元に戻せるという一律の約束は、誠実とはいえません。取り除いたオリジナルの木材は、再び生えてはこないからです。したがって、将来の作業をできるだけ妨げない材料と方法を選ぶ必要があります。
私にとって修復の質は、元の楽器がどれほど残り、その後、音楽を奏でるという役割をどれほどよく果たせるかに表れます。そのためなら、目に見える経年の痕跡や、控えめな割れの線を受け入れます。残せるものを、目先の見栄えのために犠牲にするべきではありません。後の世代の演奏家や専門家にも、その製作者が実際に生み出した楽器を、できるかぎり多く残したい。それが私の願いです。
